教会のご案内

山城谷分教会の歴史

山城谷分教会

山城谷分教会は初代会長林伊勢市が夫人と二人の子供を流行り病で亡くし、自身も今日か明日かの重態の中、池田町白地井の久保の天理教白地分教会初代会長山本貴和蔵様にお救け頂きその感激から入信し、家督一切を妹に譲り、当時は山城谷村であったこの地に単独布教に入った処から始まります。

最初は大月地区の農家の納屋の一角をお借りしての布教生活だったみたいで、火事の心配から火を使わない約束で入居させて頂いた上から、三年間と言うものは一切火の通っていない物、干し芋とかはったい粉で命を繋いだ道中で有ったと聞き及んでいます。苦難の布教生活の中少しずつ話を聞いてくれる人も増えて行き、その真実の心に神様がお働き下さったのでしょう、病人さんが救かる数々のご守護の姿をお見せいただく中、大正4年信正名796番地に置いて山城谷宣教所の設立となりました。
そして、大正12年に土橋藤五郎氏より土地建物の寄贈を受けて現在地信正809-1並びに811-1に移転し、その後制度変更に伴い昭和27年に山城谷分教会と名称変更し、現在に至ります。

初代会長は子供が居なかった為、土橋藤五郎氏の孫に当たる土橋洋氏を養子に迎え、昭和47年初代会長伊勢市氏の死去に伴い洋氏が二代会長に就任となりました。洋氏は昭和30年に熱心な信者で有った岡平令宣氏のニ女正子を嫁取り三人の男の子を儲けておりましたが、昭和38年、教祖80年祭の八方広がる時旬の声に従い勇躍海外布教を志し、当時73才の初代会長を一人残して、一家を上げてブラジルの地に布教移民に赴きました。
様々な困難の中、6年半に渡りサンパウロ州にて、農業を営みながらの布教生活を続けておりましたが、初代会長の高齢化と子供達の教育を勘案し、ブラジル生まれの二人の男の子を加えた一家7人で昭和45年帰国の途につきました。初代会長は亡くなる時、願ったり叶ったりになったと、望んでいた息子一家との同居を喜びながらの素晴らしい往生でありました。

洋氏は会長就任後、数多くの方々を奈良県天理市に有ります天理教の聖地おぢばにお連れし、幾人もの癌の患者の方をお救け頂くなど徹底した神一条の精神で通られる中、旧神殿の老朽化が気がかりだったのですが主だった信者の方々の発意を受けて直営での神殿普請を決意し、親神様、教祖さまのご守護に護られて、用木信者は元より、工事関係者、地域の方々、ご縁ある多くの方々のお力添えを頂きまして、1年8ヶ月におよぶ工事を経て平成7年3月6日に無事神殿落成報告祭を勤める事が出来ました。
洋氏は難病指定を受けております網膜色素変性症の遺伝病を患っており、段々と視野が狭くなる中でも懸命に神様の御用を勇んで務められ、周りのサポートも有りましたが目の不自由な事を感じさせ無い日常生活で有りました。晩年まで神様をお守りし仕えて居られましたが、令和2年8月末日未明、91歳で亡くなりました。

三代会長林昭仁は平成28年に教会長のお許しを頂いて寄り今日まで、足かけ10年の歳月をただただ親神様、教祖の思いを皆様にお伝えすることを願いながら、試行錯誤しながらも何とか勤めて参りました。只今、より地域に開かれた教会を目指して務め励ませて頂いている道中です。

 

山城谷分教会のご案内

朝づとめ 6:00
夕づとめ 18:00
参拝可能時間 7:00~19:00

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